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日本ダービーで思うこと(2)

 先日、入線直後に急性心不全で死亡したスキルヴィングについて書いたが少し違う角度で考える。 
私が最初に目にした記事では出走前のスキルヴィングはいつもと変わらない様子だったとあったが、後日見た記事では、明らかに様子がおかしかったという、関係者の証言もあったらしい。いずれも素人の感想であるので、どちらが正しいかは問題ではない。
 レース前には獣医による馬体検査が行わている。心拍や呼吸、けがの有無、歩様もチェックされる。当然、この時に異常が見つかれば競争除外になる。今回のスキルヴィングについてはどうだったのだろうか?満場一致で問題なしだったのか、それとも少しあやしいけど、人気馬だし、ルメールだし、とかいった忖度をもって決められたのではないだろうか?もし、何か引っかかることがあったにもかかわらず出走を許したのだとしたら獣医たちに責任はないのだろうか。
 乗馬の世界でも競技前検査(インスペクション)が行われる。とくに競技時間が長くなるエンデュランスでは競技途中も含めて、何度か獣医検査が行われ、その時点で歩様以外でも馬の状態が悪いと判断されれば失権になる。馬のウェルフェアに関してはおそらく競馬よりも乗馬のほうが進んでいるのでないかと思うが、(競馬の)獣医師団も少しでも馬の状態に疑いがあれば、より精密な検査や場合によっては競争除外を選択できるだけの判断力と(いろいろなしがらみを無視できるだけの)権限を与えるべきだ。

e-Govについて

今年も労働保険料の年度更新の時期になった。
手書きの申告書も郵送されてくるが、おすすめはe-Govによる申告のようだ。
保険料の計算は給与計算ソフトがやってくれるのでいいのだが、申告書の様式までは把握していないので、とりあえず、紙の申告書に記入してみる。昨年もやったことなので、とくに問題はない。
で、これをもとにe-Govの申告書記入画面で入力すると何回やってもエラーになる。その度にダイアログボックスが現れるのだが、何を言っているのかさっぱりわからない、エラーメッセージを吐き続ける。あまりに鬱陶しいので、一度、もうこのダイアログを出さない、というチェックボックスをONにすると、なんと、今度はエラーをチェックをするためのチェックボタンがなくなってしまい、エラーチェックができなくなってしまった。この状態ではそのチェックボタンをONにできないので、仮に正しくても、申告自体ができない。
仕方ないので、一度保存したり、ログアウトしていたりしているうちに、なぜかチェックボタンは復活した。
何を言っているのかわからないメッセージと格闘しつつ、「労災保険と雇用保険の算定基礎額が同じ場合は労災保険の方だけに数字を記入せよ」といっているらしい、という結論になった。
でも、そのメッセージの文面だけでそう解釈することは不可能で、試行錯誤の末にたどり着いた結論だ。申告書にはちゃんと紙の冊子もついており、記入例があるのだが、そこには労働保険料(労災保険+雇用保険)以外は記入されているではないか!!しかも同じだったら片一方を消せとメッセージを出すコーディングをしている時間があるなら、内部的にその数字がないものとして処理したほうがよっぽど早いだろうに(ただ単に料率をかけるだけで同じ数字だからといって計算になんの違いもない)。
本当に馬鹿げたシステムのお陰で何十分も無駄にした。これで挫折して紙で申告した人もたくさんいそうだ。このシステムを作ったシステム会社は馬鹿なのだろうか?仕様を決める会議で誰もこれでいいんですか?という疑問を出さなかったのだろうか???
もし、これが日本を代表するようなシステム会社(の下請け会社、あるいは下請けの下請け)が作ったのだったら、もう日本のソフトウェア開発能力は終わりだ。さっさと、GAFAM(もっと小さいところでも)に敗北を認めて〇〇〇〇GTPに最初から作り直してもらったほうがよい。
政府は事業者に業務改善や生産性向上を声高に求めているが、「まずは隗より始めよ」という言葉を贈ってこの文章の締めくくりとする。

日本ダービーで思うこと

先日行われた日本ダービーでは勝利を飾った馬よりも、2番人気のスキルヴィングが入線後、急性心不全で死亡したことのほうが大きく取り扱われることになりました。 スキルヴィングは日本ダービーの出場権利を獲得するために、この日本ダービーの3週間前に同じ東京で行われた青葉賞で勝利しています。青葉賞で勝った馬は日本ダービーでは勝てないというジンクスがあるらしいのですが、それはやはり3週間という期間では完全に体力が回復できないからなのか、調教でピークを青葉賞に合わせてきたからなのか、いずれにせよ、スキルヴィングは無理をさせられたことには間違いないでしょう。
 で、若くして亡くなった馬はもちろん可愛そうで残念なのですが、その後、ある元騎手の方が、それを悲しむ競馬ファンに向けて批判的な内容のブログを書いて、賛否両論を巻き起こしました。
私は書き方は別にして、総論としては、この元騎手の書かれていることは全く持って正論で反論の余地はないと思います。
私は競馬をやったことがないので偏見かもわかりませんが、多くの競馬ファンは馬券の当たり外れのみに関心があり、馬のウェルフェアなんて知ったこっちゃないという人がほとんどではないでしょうか?「そんな事をいちいち考えていたら、ギャンブルなんてできない」、なんていう声もあるとは思いますが、競馬はあくまでも娯楽であり、その楽しみを与えてくれた馬たちにもう少し「分け前」をあげてもいいのではないでしょうか?馬の分け前と言っても、もちろん、ニンジンやりんごのことではありません。
それよりも、引退後の馬の生活を保証にすることです。現在の引退競走馬の運命はかなり過酷なものです。一部の馬は繁殖馬になりますが、それ以外は基本、乗馬クラブに行くか処分です。
乗馬クラブに行って乗馬としての才能を開花させ、乗馬クラブの会員さんたちに可愛がられたら、かなりの勝ち組です。場合によっては会員さんに買い取ってもらって老後は養老牧場という道もありますが、これは本当に一握りの馬です。
多くの引退競走馬は各フェーズで「処分」という道が待ち構えています。しかも、これはほとんど場合、経済的な理由によるものです。まだまだ生きることのできる命が、飼育料を払うのがもったいない、という理由で処分されているのです。
 受益者負担という言葉があります。競馬には多くの人が関わっています。生産、育成、JRA,NRA、調教師、厩務員、騎手、獣医、馬主等々。では、最終的な受益者は誰かと考えれば、競馬を楽しんでいる人、すなわち、勝馬投票券を購入している人ということになります。
だったら話は早いです。勝馬投票券に強制的に一定の割合(例えば1%)で、引退競走馬基金への寄附金付きする。一斉にというところに理解得られないのなら、寄附金なしの勝馬投票券も併売して購入者に選択させる、というのはどうでしょうか?たとえ1%といえども、今現在の払戻率を下げられるのは反対する人が多いのでしょうか?もし、そうならなんか悲しいですね。
 JRAの売上は最近3兆円を超えています(ちなみにJRAの収益はその15%です)。
仮にそれが全て、勝馬投票券の売上だったとして、その1%は300億円になります。
馬1頭を飼育する費用はかなり大雑把な計算で月10万円とすれば、この300億円で、25,000頭の馬を飼育できる計算になります。今、軽種馬の年間生産数は約7,500頭です。この7,500頭のすべてが引退後すぐに養老生活を送るわけではありませんが、乗馬クラブなどへ行った馬もいずれ2ndステージを卒業します。飼育環境向上のお陰でいまや30歳を超える馬は珍しくありません。平均で、15年間、養老生活(すなわち直接利益を生み出さない期間)を送るとしたら、それにかかる費用は15x10x12=1800万円/頭になります。7,500頭のうち半分が支援の必要があるとして、 1800x7500/2=6,750,000万円
生まれてくる馬と死亡する馬の数が同じだとして、ほぼ全数を救おうとすると、年間675億円かかることになります。これはJRA売上(3兆円として)の2.25%に相当します。
この程度の金額を競馬ファンが負担することに同意してくれれば、日本も馬のウェルフェアに関しては先進国になれると思うのですが、現実は厳しいのかな。

エコキャンペーンのエコでないところ

いまや「温暖化は本当に起こっているのか?」なんて言っている人はいませんよね?
もちろん、起こっています。地球全体でみて、過去100年間で1℃程度平均気温が上昇していることは事実です。
100年で1℃ぐらいいいんじゃない?なんて呑気なことを言っているあなた、それは違います。
何も対策をしないと次の100年は1℃では済まないでしょうし、局所的にはもっと上昇しています。
で、原因は何?なんて言っている人もいないですよね。もちろん、二酸化炭素やメタンに代表される温室効果ガスです。
その温室効果ガスが出る原因は、石油や石炭などの化石燃料の消費、家畜の飼育によるものなどいろいろですが、人間の活動に伴うものがほとんどだとされています。
対策を考えましょう。
まず、だめな例として、
・レジ袋の有料化:レジ袋の分、プラスチック消費が減ってとってもエコ^^とおもいきや、喜んだのはマイバッグを作っているところだけで、当然ながら、統計で現れるほどの効果はありません。むしろ、エコバックのせいで万引きが増えたり、余計な手間が増えてレジが混雑したりとか、それ以外のデメリットによる負の経済効果のほうが莫大です。だれか、レジ袋の有料化でどれだけCO2が減って、どれだけの(マイナスの)経済効果があったか計算してくれないですかね?政府は絶対にやらないでしょうから...。
・ゴミの分類:燃えるゴミと燃えないごみの分類は当たり前ですが、なにやら、プラスチック、ペットボトルやらいっぱい分類させられて、ペットボトルはラベルとキャップを取って中を洗って、って、、、、魚や肉の入っていたトレーはきれいに洗って出してくれって、、、
これは完全にエコじゃないでしょう。労力と水やら洗剤までつかって、結局リサイクルされるのなんてほんの一部だけで、ほとんどは他の燃えるゴミと一緒に燃やされているだけなのに、なぜか、ゴミの分類命の訳の分からない人もいっぱいいたりして。。。
これもペットボトルやプラスチックゴミのリサイクル率と実際には燃やされている率を出してほしいですね。まったくの無駄な作業を住民に強いていることがバレるので絶対に公表しないでしょうけど。。。
燃えるゴミを焼却するときに重油などの化石燃料を使用していることはご存知でしょう。だったら少しでもレジ袋を多く出して、重油の使用を減らしたほうがエコ(経済効果も含めて)というものでしょう。
・割り箸からマイ箸:割り箸はもともと間伐材など他に利用価値のない木材を使用しているので、割り箸を使わなくなったら森林伐採が減るわけではありません。むしろ、他に使い道のない間伐材の行きどころがなくなって、間伐する業者が廃業したら、森林保護のはずが森林破壊になってしまうという、本末転倒もいいところです。これぞ正しく、「木を見て森を見ず」の典型ですね^^。マイ箸はやっている人は自己満足感に浸れるでしょうが、使用したマイ箸をウエットティッシュなどで拭いて、しまって、家に帰ってから、また、洗剤で洗うわけですから、全然エコじゃないですよね。
・プラスチック製ストローの廃止:これは最近、廃止するところが減ってきているのでいいのですが、しなったり、飲み物の味が変わってしまうのはだめですね。本来の機能を失ってしまってまでエコを貫くのはいかがなものかと思うけど、好きな人にはたまらないのでしょうね。
まぁ、これらのことを実践している人たちは、「私は地球環境のことを考えて生活しているのよ、偉いでしょう」といいたいのでしょうが、全然偉くありません。自慢したいなら、もう少し勉強しましょう。

では、どうしたら良いでしょうか?
まず、今、温室効果ガスを大量に排出しているところは出さないようにするのは大事です。しかし、それを経済活動の自粛などに求めるのは間違っています。そのほとんどは技術革新により解決するものです。
化石燃料の代わりに太陽光などの自然エネルギーを使用することはまさにこれに該当します。
次世代のエネルギーはいわゆる自然エネルギー以外にも人工光合成や合成燃料など空気中の二酸化炭素を固定する方法が開発されています。CO2をださないエネルギーといえば原子力発電以外にも核融合が有力です。

政府はあまりに些末なところに首を突っ込まないで、これら次世代エネルギーを応援することに注力すればいいのではないでしょうか?

AIとの共存

しばらく更新していないなぁと思っていたら、なんと1年以上更新していなかったですm(_ _)m
あまりに忙しくて、、、、ということにしておきます。

ところで、最近 ChatGTPのことが話題になっていますね。
私もIT技術者(昔はSE)の端くれとして、AI技術の発展にはそれなりの興味を持っています。
私の30年以上前の学生時代にも自然言語解析とかいう分野があり、それなりに研究は進んでいました。
でも、それはコンピュータが現在のように発展する以前のこと、紙と鉛筆と頭だけでできている学問だったので、現在のAIによる自然言語処理とは似ても似つかないものでもありました。

で、なにが言いたいのかというと、IT発展の前後で、多くのことが根底から覆されているということです。なにをいまさら当たり前のことを、とか、そんなこと20年前からわかっとるわい、というご批判はごもっともですが、やはりどの世界にも自分の育ってきた歴史を否定されるのは面白くなりというか、あるいは理解しようとしない人のほうが多いのかと思う昨今なので、もう少し我慢してください。

ChatGTPを使ってみましたが、回答がやや不正確なこともあり、すべてを鵜呑みにできないと言うのはその通りなのですが、
そんなことより、回答の言葉があまりに自然で、英語はもちろん、日本語でもそんじょそこらの日本人が書く日本語よりもよっぽどちゃんとした日本語です。質問も質問者の意図をちゃんとくみ取ってくれて、多少の間違いは許容してくれます(その間違いを指摘するような野暮なことをして来ないのも素敵です)。
さっそく、学生のレポートなどにChatGTPの使用禁止をうたう学校なども現れたようですが、これこそ、(教育者という)既得権益を捨てられない教育者の弊害といえるのではないでしょうか?
そもそも、電卓ができたときに、暗算やそろばんや計算尺は不要になりました。エクセルができたときに、電卓を目にも留まらぬ速さで叩く技能もほぼ不要になりました。
日本の(海外でも?)試験ではどのようなものでも、だいたいが電卓さえも持ち込み禁止ですが、めんどくさい四則演算を間違いなくすることにどれだけ意義があるのでしょうか。それよりもツールを使いこなす能力を評価すべきではないでしょうか。
小学生に四則演算を何百問もやらせたり、同じ漢字を何回も書き写す作業を繰り返させたり、意味のない年号を無意味に暗記させる時間があるのだったら、パソコンやスマホの使い方を一通り理解させた上で、どうすればYoutubeで魅力あるコンテンツを作成できるのかを学習させたほうが何百倍もすばらしい教育になるのではないでしょうか。もちろん、その過程でChatGTPなどをツールとして利用すればより簡単にできることがわかっても、それさえあれば、すべての学習が無駄であるとの結論には至らないはずです。
念のために言っておくと、私は基礎的な学習が必要ないと言っているのではなく、ただ単なる作業とか意味のない情報を記憶することに時間を費やすぐらいなら、コミニュケーション能力を高めるとか、(一部の人は)リーダーシップを磨くとか、将来、人間として幸せになるための能力の向上に時間を使うべきで、それは大人になってからでは十分に遅いということです。

教育というのは、教育者(あるいは現在権威を持っている人)の権威を守るためにあるのではなく、これからの時代を担う人の能力をいかに伸ばすためにあるのは異論はないでしょう。人の能力というのは様々です。スポーツが苦手な子に無理やり野球やサッカーを押し付けるのはあまり良くないなと思うでしょう。同様に算数が苦手な子に日常生活で必要な以上の数学を教えることも無意味です。従来の1人の先生が40人ぐらいの生徒を一律的なやり方で、しかも、専門性がないために生徒の質問にもまともに答えられないようなやり方では新しい時代を担う人を育成できないのは明らかです。
それならほとんどを素晴らしい講師の方やあるいはAを利用したオンライン教育にして、コミニュケーションが必要な場合のみ対人で授業を行うでいいのではないでしょうか?
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八ヶ岳ホースケア牧場
プロフィール

かず

Author:かず
馬乗りです。
妻および愛娘(犬)あり。
世間一般には中年あるいはおじさんなどと呼ばれる年齢ですが、かたくなに認めません。
愛馬と家族とともに牧場を開業中です。

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