ノルマンディの思い出(まとめ)
まずは、ALLTECH FEI WORLD EQUESTRIAN GAMES 2014 IN NORMANDYのENDURANCE競技にクルーとして参加させてもらえたことに感謝しなければなりません。ラッキーは今年の1月から私の牧場で預かっていましたが、例年にない大雪のせいもあり、なかなかトレーニングを開始することができず、結構やきもきしました。でも、世界大会の前に80kmを難なく完走したことで、私なりに多少の手応えがありました。
ラッキーは6月25日から成田に向かいました。検疫も無事に終わり、当初は預託先のファームでのトレーニングが順調に進んでいるとの報告が続きました。
しかし、1回目の装蹄後に事件が起こります。日本の5頭とも落鉄はするは跛行はするは...。とくにラッキーは装蹄後のトレーニングで跛行が出て、一向によくなる気配が見られませんでした。急遽、獣医や日本から派遣された装蹄師に診てもらい、なんとか原因がわかったので、治療に専念したのですが、跛行が起こらなくなったのが、大会の直前でした。それまでの1ヶ月間はまったくトレーニングできなかったのです。
この状態で難コースの160kmに挑んだわけですので、今回の結果は致し方ないところでしょう。むしろ、よくスタートに立てたものだと思います。ラッキーががんばってくれたことはもちろんですが、サポートしていただいた日本チームの方々には感謝感激です。とくに、装蹄師さんの存在がとても大きかった大会だと感じました。
ラッキーは6月25日から成田に向かいました。検疫も無事に終わり、当初は預託先のファームでのトレーニングが順調に進んでいるとの報告が続きました。
しかし、1回目の装蹄後に事件が起こります。日本の5頭とも落鉄はするは跛行はするは...。とくにラッキーは装蹄後のトレーニングで跛行が出て、一向によくなる気配が見られませんでした。急遽、獣医や日本から派遣された装蹄師に診てもらい、なんとか原因がわかったので、治療に専念したのですが、跛行が起こらなくなったのが、大会の直前でした。それまでの1ヶ月間はまったくトレーニングできなかったのです。
この状態で難コースの160kmに挑んだわけですので、今回の結果は致し方ないところでしょう。むしろ、よくスタートに立てたものだと思います。ラッキーががんばってくれたことはもちろんですが、サポートしていただいた日本チームの方々には感謝感激です。とくに、装蹄師さんの存在がとても大きかった大会だと感じました。
ノルマンディの思い出(6)
次の日の朝はゆっくり目に起きて、ラッキーの朝飼い、放牧ぐらい。ラッキーはやや疲れが出てます。
私達は朝ごはんののち外乗。きれいなフランス人の女の子たちと一緒に外乗できるなんてこれが最初で最後でしょうね。
そして昼食後、プロヴァンスへ。馬のショーが始まる時間にギリギリ間に合いました。
なかなか見応えのあるショーでした。
そして、ファームに帰ってきて夕食と優雅な1日でした。
で、次の日。
今日でファームともお別れです。ラッキーとも22日までお別れです(;_;
ラッキーのオーナーさんの飛行機が私達の飛行機よりもかなりはやいので、私達は空港でかなり長い待ち時間がありました。このまま空港で過ごすのも芸がないということで、ミラクルさんのお知り合いがパリに留学していることをいいことに、その人にパリ市内までの道案内をさせてしまいました。本当はその方とパリのシャンゼリゼ通りのオサレなオープンカフェでこれまたオサレなサンドイッチでもぱくつく予定だったのですが、その方のお仕事の都合で、パリの中心部(凱旋門のあるとこ)に置いて行かれてしまいました。でも、その人がいなかったらトランクの預け方も地下鉄の切符の買い方もわからなかったので、大変助かりました。で、凱旋門から歩いていけるエッフェル塔をみて、パリ観光は終了です。さっさと岐路につきました(まだ4時間もある!)
で、帰りの地下鉄はきっちり2回も乗り間違いをしてしまいました。でも、時間はたっぷりあったので、余裕で空港につけました。
飛行機に乗り、ついたら9月1日の18時頃です。そこから高速バスと自分の車を乗り継ぎ自宅についたのは日付がかわって2日の1時前。すぐに寝て4時頃に目が覚め、そこから風呂に入り、そして、馬に飼いをやる、という日常生活に戻りました。
結局、時差ボケは全くありませんでした。
私達は朝ごはんののち外乗。きれいなフランス人の女の子たちと一緒に外乗できるなんてこれが最初で最後でしょうね。
そして昼食後、プロヴァンスへ。馬のショーが始まる時間にギリギリ間に合いました。
なかなか見応えのあるショーでした。
そして、ファームに帰ってきて夕食と優雅な1日でした。
で、次の日。
今日でファームともお別れです。ラッキーとも22日までお別れです(;_;
ラッキーのオーナーさんの飛行機が私達の飛行機よりもかなりはやいので、私達は空港でかなり長い待ち時間がありました。このまま空港で過ごすのも芸がないということで、ミラクルさんのお知り合いがパリに留学していることをいいことに、その人にパリ市内までの道案内をさせてしまいました。本当はその方とパリのシャンゼリゼ通りのオサレなオープンカフェでこれまたオサレなサンドイッチでもぱくつく予定だったのですが、その方のお仕事の都合で、パリの中心部(凱旋門のあるとこ)に置いて行かれてしまいました。でも、その人がいなかったらトランクの預け方も地下鉄の切符の買い方もわからなかったので、大変助かりました。で、凱旋門から歩いていけるエッフェル塔をみて、パリ観光は終了です。さっさと岐路につきました(まだ4時間もある!)
で、帰りの地下鉄はきっちり2回も乗り間違いをしてしまいました。でも、時間はたっぷりあったので、余裕で空港につけました。
飛行機に乗り、ついたら9月1日の18時頃です。そこから高速バスと自分の車を乗り継ぎ自宅についたのは日付がかわって2日の1時前。すぐに寝て4時頃に目が覚め、そこから風呂に入り、そして、馬に飼いをやる、という日常生活に戻りました。
結局、時差ボケは全くありませんでした。
ノルマンディの思い出(5)
29日。今日はベスコン審査ですが、同時に退厩の日でもあります。
ラッキーは昨日の疲れから筋肉痛と脚にはれが見られますが、食欲はあるので一安心です。
最初、馬運車は午後出発なので、宿舎のチェックアウトもその前ぐらいと聞いてゆっくりとしていたのですが、先に宿舎を空けないといわれ急遽荷物を車の中に。そして、馬房に残っており荷物を整理し慌ただしく馬運車へ積み込みです、なにしろ170頭もの馬がほとんど一斉に移動するのですからもたもたしていたら大迷惑です。馬を積み込んだらさっさと出発してしまいました。で、このされた私達もラッキーのオーナーさんの運転するレンタカーに同乗させてもらい、馬運車を追いかけることにしました。途中、モン・サン・ミッシェルを見ているぐらいの余裕はあるだろうと思っていたのですが、出発が遅れ、それどころではありませんでした。
馬運車の行き先はこれまで5頭が1ヶ月半ほどお世話になっていたVaumartinにあるファームです。競技場からは南西へパリを経由して300kmあまりのドライブです。
快適な後部座席に揺られながら、気が付くとファームに馬運車とほぼ同時に到着です。ここで、馬たちは9月8日まで過ごすことになります。
荷物を下ろすのを手伝ったり、馬を放牧したり、馬房へ入れたりして、時間は午後8時を過ぎていました。
で、待望の夕食です。このファームはペンションもやっているとのことで、出てきた料理はそぼくながらも全部大変美味しいです。とくに感動したのはチーズとフランスパンとワイン(全部料理じゃないけどね)。フランスパンは独特の香ばしさと硬さ味があります。チーズも普通にスーパーで売っているのですが、日本では味わったことがないものです。ワインも決して高級なものではないのですが、みんなおいしいです。しかも安い!!750mlボトルで3ユーロもだせばお釣りがあります。
あとはソーセージやポテトなどですが、今までのフランスでの食事をすべて帳消しにしてくれるすばらしい家庭料理でした。
ラッキーは昨日の疲れから筋肉痛と脚にはれが見られますが、食欲はあるので一安心です。
最初、馬運車は午後出発なので、宿舎のチェックアウトもその前ぐらいと聞いてゆっくりとしていたのですが、先に宿舎を空けないといわれ急遽荷物を車の中に。そして、馬房に残っており荷物を整理し慌ただしく馬運車へ積み込みです、なにしろ170頭もの馬がほとんど一斉に移動するのですからもたもたしていたら大迷惑です。馬を積み込んだらさっさと出発してしまいました。で、このされた私達もラッキーのオーナーさんの運転するレンタカーに同乗させてもらい、馬運車を追いかけることにしました。途中、モン・サン・ミッシェルを見ているぐらいの余裕はあるだろうと思っていたのですが、出発が遅れ、それどころではありませんでした。
馬運車の行き先はこれまで5頭が1ヶ月半ほどお世話になっていたVaumartinにあるファームです。競技場からは南西へパリを経由して300kmあまりのドライブです。
快適な後部座席に揺られながら、気が付くとファームに馬運車とほぼ同時に到着です。ここで、馬たちは9月8日まで過ごすことになります。
荷物を下ろすのを手伝ったり、馬を放牧したり、馬房へ入れたりして、時間は午後8時を過ぎていました。
で、待望の夕食です。このファームはペンションもやっているとのことで、出てきた料理はそぼくながらも全部大変美味しいです。とくに感動したのはチーズとフランスパンとワイン(全部料理じゃないけどね)。フランスパンは独特の香ばしさと硬さ味があります。チーズも普通にスーパーで売っているのですが、日本では味わったことがないものです。ワインも決して高級なものではないのですが、みんなおいしいです。しかも安い!!750mlボトルで3ユーロもだせばお釣りがあります。
あとはソーセージやポテトなどですが、今までのフランスでの食事をすべて帳消しにしてくれるすばらしい家庭料理でした。
ノルマンディの思い出(4)
つ、ついに大会当日です。よくぞここまできたもんだ~~ラッキー~~~、と感激の涙を流す間もなく、朝飼い、曳き馬、馬房掃除。でも、昨日までと違って、曳き馬が混んでます。というのも、7時スタートなのに6時半まではスタートエリアに入れず、しかたなく、厩舎周りでみんな曳き馬を始めてしまったものだから大渋滞です。みんな、行儀の良い馬ばっかりで良かったです。
昨日のうちに荷物の移動などは済んでいるのでいるので余裕のはずが、あっという間に馬装する時間になってしまいました。ラッキーは少し元気すぎて尻っぱねするので、急遽マルタンを装着。乗ってもやっぱり緊張して背を張っています。スタートエリアに向かいましたが、ライダーが乗ったままミラクルさんが少し曳いて馬を落ち着かせます。
15分前ぐらいになると170頭もの馬がスタートエリアを周回します。その姿はなかなか圧巻です。で、わが日本チームもさっそうと準備運動しているかと思えば、ラッキーはやや興奮状態で、後ろにいた馬に蹴りかかっていたりします(幸いとくに誰にも迷惑をかけなかった^^;)。そうこうするうちにスターです。本当はレッドとラッキーがペアでスタートする予定だったのですが、はぐれてしまい。なんとラッキーは先頭集団でスタートを切ってしまいました。
スタートしてしまえば、第1レグは40kmなので、クルーはあと2時間30分ぐらいは何もすることがありません。道具を片付けたり、差し入れのお菓子を食べたりしながら、クルーエリアにたむろしてしました。で、スタートして1時間45分ぐらいの時に「あと、5キロ地点に来ましたーー」という連絡が!!!ん、2時間で帰ってくるの???平均速度20km???UAEもまだ帰ってきてないのに???なんで、こんなに飛ばしてくるの????という疑問符が頭にいっぱいつきながらも、ご主人様のお帰りをいまかいまかと待っている子犬のように、曳き手を握りしめながら、フェンスに身を乗り出して待っていました。しかし、まあ、当たり前というかなんというか、全然帰ってきません。当然のごとく、UAEやスペインなどの強豪チームがつぎつぎに到着する中、我々は一番前で待ち続けます。さすがに業を煮やした係員にお前ら邪魔だから下がってろと言われる(たぶん)始末です。
結局はほとんど予定通りのタイム2時間30分で帰ってきました。後になって考えるとどうも、1つ目のクルーポイントと2つ目のクルーポイントが同じ地点なのですが、それを勘違いしたようでした。
で、ラッキーの心拍は118!!。こりゃイカンということで、私は、アメリカのクルーチームが一生懸命に水をかけ、水を切り、スポンジで、水をかけなどとやっているのを、邪魔しないように見守っていました。
結局、ほとんど時間をいっぱい使って60台に下がったのですが、獣医検査場が混んでいて、心拍が測られたのはインしてから10分ぐらいたっていました。おかげで心拍は十分に下がっていました。
馬に栄養補給の飼料や草を食べさせて休ませてなんてしているうちに、2レグのスタートです。
2レグはかなりの難コースというか道がぬかるんでいて大変だったようです。最初レッドが落鉄したとの一報が入りました。一度、装蹄師さんが途中のポイントまで向かい、装蹄したのですが、また、落鉄してしまい、大きなロスとなりました。らっきーは順調かとおもいきや、ラッキーも前2つ落鉄です。残り6kmぐらいだったので、仕方なく、ペースダウンして帰ってきました。しかし、やはり、馬の負担は大きかったらしく、心拍がどうしても70台から下がりません。時間いっぱい使ってクルーダウンしましたが、結局64を切ることはできませんでした。
で、獣医検査で引っかかった馬は強制的に医療テントにつれていかれ獣医の診断の元点滴します。2本づつ2セット。その間、馬が動かないように点滴チューブを見張っていないといけないのですが、ライダーはどっかに行ってしまい、ミラクルさんと私はなるべく話しかけられないようにこそこそとしていたのですが、点滴が終わって問診票に記入するのに獣医さんが質問されるのにしどろもどろになりながらも、なんとかやり過ごしました。
で、点滴が終わる頃には目が死んでいたラッキーも、さぁ、続きを走ろうぜ、なんて言っているようにもみえるほど、元気を取り戻してました。
これで、ラッキーの今回の世界選手権は終了です。結果は残念ですが、ここに来るまでの経過をみれば上出来だったのではないかと思います。また、私もいろいろ勉強させていただきました。この場に呼んでいただいたラッキーのオーナーには感謝です。
昨日のうちに荷物の移動などは済んでいるのでいるので余裕のはずが、あっという間に馬装する時間になってしまいました。ラッキーは少し元気すぎて尻っぱねするので、急遽マルタンを装着。乗ってもやっぱり緊張して背を張っています。スタートエリアに向かいましたが、ライダーが乗ったままミラクルさんが少し曳いて馬を落ち着かせます。
15分前ぐらいになると170頭もの馬がスタートエリアを周回します。その姿はなかなか圧巻です。で、わが日本チームもさっそうと準備運動しているかと思えば、ラッキーはやや興奮状態で、後ろにいた馬に蹴りかかっていたりします(幸いとくに誰にも迷惑をかけなかった^^;)。そうこうするうちにスターです。本当はレッドとラッキーがペアでスタートする予定だったのですが、はぐれてしまい。なんとラッキーは先頭集団でスタートを切ってしまいました。
スタートしてしまえば、第1レグは40kmなので、クルーはあと2時間30分ぐらいは何もすることがありません。道具を片付けたり、差し入れのお菓子を食べたりしながら、クルーエリアにたむろしてしました。で、スタートして1時間45分ぐらいの時に「あと、5キロ地点に来ましたーー」という連絡が!!!ん、2時間で帰ってくるの???平均速度20km???UAEもまだ帰ってきてないのに???なんで、こんなに飛ばしてくるの????という疑問符が頭にいっぱいつきながらも、ご主人様のお帰りをいまかいまかと待っている子犬のように、曳き手を握りしめながら、フェンスに身を乗り出して待っていました。しかし、まあ、当たり前というかなんというか、全然帰ってきません。当然のごとく、UAEやスペインなどの強豪チームがつぎつぎに到着する中、我々は一番前で待ち続けます。さすがに業を煮やした係員にお前ら邪魔だから下がってろと言われる(たぶん)始末です。
結局はほとんど予定通りのタイム2時間30分で帰ってきました。後になって考えるとどうも、1つ目のクルーポイントと2つ目のクルーポイントが同じ地点なのですが、それを勘違いしたようでした。
で、ラッキーの心拍は118!!。こりゃイカンということで、私は、アメリカのクルーチームが一生懸命に水をかけ、水を切り、スポンジで、水をかけなどとやっているのを、邪魔しないように見守っていました。
結局、ほとんど時間をいっぱい使って60台に下がったのですが、獣医検査場が混んでいて、心拍が測られたのはインしてから10分ぐらいたっていました。おかげで心拍は十分に下がっていました。
馬に栄養補給の飼料や草を食べさせて休ませてなんてしているうちに、2レグのスタートです。
2レグはかなりの難コースというか道がぬかるんでいて大変だったようです。最初レッドが落鉄したとの一報が入りました。一度、装蹄師さんが途中のポイントまで向かい、装蹄したのですが、また、落鉄してしまい、大きなロスとなりました。らっきーは順調かとおもいきや、ラッキーも前2つ落鉄です。残り6kmぐらいだったので、仕方なく、ペースダウンして帰ってきました。しかし、やはり、馬の負担は大きかったらしく、心拍がどうしても70台から下がりません。時間いっぱい使ってクルーダウンしましたが、結局64を切ることはできませんでした。
で、獣医検査で引っかかった馬は強制的に医療テントにつれていかれ獣医の診断の元点滴します。2本づつ2セット。その間、馬が動かないように点滴チューブを見張っていないといけないのですが、ライダーはどっかに行ってしまい、ミラクルさんと私はなるべく話しかけられないようにこそこそとしていたのですが、点滴が終わって問診票に記入するのに獣医さんが質問されるのにしどろもどろになりながらも、なんとかやり過ごしました。
で、点滴が終わる頃には目が死んでいたラッキーも、さぁ、続きを走ろうぜ、なんて言っているようにもみえるほど、元気を取り戻してました。
これで、ラッキーの今回の世界選手権は終了です。結果は残念ですが、ここに来るまでの経過をみれば上出来だったのではないかと思います。また、私もいろいろ勉強させていただきました。この場に呼んでいただいたラッキーのオーナーには感謝です。
ノルマンディの思い出(3)
明けて27日。いよいよ大会前日です。昨晩は少しは簡易ベットとシャワーに慣れてきてなんとか眠れました。
今日も朝飼いと曳き馬、歩様検査、オーナーの乗り運動と時間が過ぎていきます。
夕方からは前日獣医検査が始まります。いまはラッキーは元気すぎるぐらいですが、実はフランスのファーム到着後の装蹄時に少しトラブルが有り、数日前まで歩様に若干の問題がありました。そこで、万が一のことを考え、歩様検査の時はハイペースな速歩で曳くようにと日本チームの獣医からアドバイスがありました。
でそのインスペクションですが、もちろん獣医検査は問題なく通過したのですが、歩様検査のときに馬は既にイケイケ状態で、さらに、テンション高めに曳いたものだから、駈歩はデルは後ろ蹴りはするは飛び跳ねるは。私は見ていただけですが、かなりのヒヤヒヤものでした。結局やりなおしで今度は抑えに抑えて曳いたのですが歩様も全く問題なく通過出来ました。
今日の夜は壮行会兼チームウェアの贈呈式です。これで、1食は選手村のビュッフェから逃れられる~♪
で、ワインを片手にバイキング形式の料理にぱくついたものの...ん、これは...。フランスの片田舎のおされなレストランで否応もなく膨らむ期待をみごとに打ち砕いてくれたのでした。でも、長くフランスに居る人に聞くとこれぐらいが普通だという。これは、現地の方にしかわからない秘密の料理だったのだろうか?謎は膨らみます。
で、壮行会もそこそこのところでお暇し、あとは当日を待つのみです。
今日も朝飼いと曳き馬、歩様検査、オーナーの乗り運動と時間が過ぎていきます。
夕方からは前日獣医検査が始まります。いまはラッキーは元気すぎるぐらいですが、実はフランスのファーム到着後の装蹄時に少しトラブルが有り、数日前まで歩様に若干の問題がありました。そこで、万が一のことを考え、歩様検査の時はハイペースな速歩で曳くようにと日本チームの獣医からアドバイスがありました。
でそのインスペクションですが、もちろん獣医検査は問題なく通過したのですが、歩様検査のときに馬は既にイケイケ状態で、さらに、テンション高めに曳いたものだから、駈歩はデルは後ろ蹴りはするは飛び跳ねるは。私は見ていただけですが、かなりのヒヤヒヤものでした。結局やりなおしで今度は抑えに抑えて曳いたのですが歩様も全く問題なく通過出来ました。
今日の夜は壮行会兼チームウェアの贈呈式です。これで、1食は選手村のビュッフェから逃れられる~♪
で、ワインを片手にバイキング形式の料理にぱくついたものの...ん、これは...。フランスの片田舎のおされなレストランで否応もなく膨らむ期待をみごとに打ち砕いてくれたのでした。でも、長くフランスに居る人に聞くとこれぐらいが普通だという。これは、現地の方にしかわからない秘密の料理だったのだろうか?謎は膨らみます。
で、壮行会もそこそこのところでお暇し、あとは当日を待つのみです。
ノルマンディの思い出(2)
起きたら、26日の朝でした。ん、1日得したのか損したのか?
6時から狭いシャワーブース(要するに大型コンテナ)の中にある洗面台で歯を磨いて顔を洗って目が覚めました。
6時半馬房前に集合なのですが、宿舎から馬房にいく途中にゲートがあり、所持しているパスで通過できるゲートが厳重に決められています。もちろん、そんなことは知らずに違うゲートから入ろうとするとあっちへ行けという、指示。みんなについていったからわかったものの、1人だったらいきなりパニックになってます。
で、徒歩10分程度で馬房の前に到着、見慣れた顔の馬(ラッキー)が愛想よく迎えてくれました。
馬房は原っぱの上にテント地で仕切られた部屋があるだけです。除草もしていない上にオガ粉を置いてあります。オガ粉をよけるとそこにはタンポポが顔を出します。雨が降ったらしく、地面は結構ぬかるんでいるのですが、馬房の中は意外にも快適そうです。で、さっそく、飼いをやって馬房掃除をして曳き馬をして、8時にもならないうちに終了。
暇なので、周りを見渡してもまだ、あまり馬が入厩していません。みんなで朝ごはんでも食べに行こうということになり、とことこと宿舎の方に戻り、ビュッフェに到着。パスを見せると通れるはずが...。バーコードを何度通しても登録されていないから、入場できないよ、と言われてしまう始末。きっと、フランスのコンピュータシステムなんて何十年も遅れているのだろうと悪態をつきながら、仕方なく、直ぐ目の前のスーパーマーケットでパンとジュースをゲット。宿舎に帰り、狭い部屋では食べられないので、テーブルを外に出してやっと朝食にありつけました。
走行しているうちにラッキーのオーナーさんがやってきて、曳き馬をもっとやって、歩様検査して、少し乗るから馬装して、などと行った感じでそれなりに時間は流れて行きました。
でも、ビュッフェの食事はまだお預けです。
どうも、本当に登録されておらず、はじめから食事がついていなかったのです。フランスのコンピュータシステムさん、濡れ衣を着せてすみませんでした。さすがに、これは事務局のミスなので、修正してもらい、やっと厳しい入場チェックを通ることが出来ました。
ビュッフェは時間帯によりメニューが異なりますが、バイキング形式で、夜はメインを選択する方式です。味は,,,期待が大きかっただけに極普通というか...日本のバイキングのほうがおいしいというか....
これから3食ともこれかと思うとやや気が重いです。
さきほど、足元が結構ぬかるんでいる、と書きましたが、急ピッチで土木作業が行われています。崩れかけているスロープを別の場所に移し、バラス(砂利)を通路に敷き詰めています。さすがに、アラブの王子様が出場されるだけのことはあります。こういうところはケチりませんね。
先ほどから書いている劣悪な宿舎は選手以外のクルーが宿泊します。選手は別のところのホテルに宿泊されます。
で、UAEなどもそうなのかとおもいきや、会場の内の一番いい場所にデーンととても簡易施設とは思えないようなすばらしい建物がたっているのですが、それがUAEの食事と休憩施設だったのです(宿泊しているかどうかは不明)。そこでは裏庭でシシカバブーを焼いている匂いがひときわみんなの胃袋を刺激して、お金持ちはいいなぁ~と複雑な思いを抱かせ続けたのでした...
で、そうこうするうちに夕方に。夕飼いをやって、夜飼いはお願いして、宿舎に帰りましたとさ。
6時から狭いシャワーブース(要するに大型コンテナ)の中にある洗面台で歯を磨いて顔を洗って目が覚めました。
6時半馬房前に集合なのですが、宿舎から馬房にいく途中にゲートがあり、所持しているパスで通過できるゲートが厳重に決められています。もちろん、そんなことは知らずに違うゲートから入ろうとするとあっちへ行けという、指示。みんなについていったからわかったものの、1人だったらいきなりパニックになってます。
で、徒歩10分程度で馬房の前に到着、見慣れた顔の馬(ラッキー)が愛想よく迎えてくれました。
馬房は原っぱの上にテント地で仕切られた部屋があるだけです。除草もしていない上にオガ粉を置いてあります。オガ粉をよけるとそこにはタンポポが顔を出します。雨が降ったらしく、地面は結構ぬかるんでいるのですが、馬房の中は意外にも快適そうです。で、さっそく、飼いをやって馬房掃除をして曳き馬をして、8時にもならないうちに終了。
暇なので、周りを見渡してもまだ、あまり馬が入厩していません。みんなで朝ごはんでも食べに行こうということになり、とことこと宿舎の方に戻り、ビュッフェに到着。パスを見せると通れるはずが...。バーコードを何度通しても登録されていないから、入場できないよ、と言われてしまう始末。きっと、フランスのコンピュータシステムなんて何十年も遅れているのだろうと悪態をつきながら、仕方なく、直ぐ目の前のスーパーマーケットでパンとジュースをゲット。宿舎に帰り、狭い部屋では食べられないので、テーブルを外に出してやっと朝食にありつけました。
走行しているうちにラッキーのオーナーさんがやってきて、曳き馬をもっとやって、歩様検査して、少し乗るから馬装して、などと行った感じでそれなりに時間は流れて行きました。
でも、ビュッフェの食事はまだお預けです。
どうも、本当に登録されておらず、はじめから食事がついていなかったのです。フランスのコンピュータシステムさん、濡れ衣を着せてすみませんでした。さすがに、これは事務局のミスなので、修正してもらい、やっと厳しい入場チェックを通ることが出来ました。
ビュッフェは時間帯によりメニューが異なりますが、バイキング形式で、夜はメインを選択する方式です。味は,,,期待が大きかっただけに極普通というか...日本のバイキングのほうがおいしいというか....
これから3食ともこれかと思うとやや気が重いです。
さきほど、足元が結構ぬかるんでいる、と書きましたが、急ピッチで土木作業が行われています。崩れかけているスロープを別の場所に移し、バラス(砂利)を通路に敷き詰めています。さすがに、アラブの王子様が出場されるだけのことはあります。こういうところはケチりませんね。
先ほどから書いている劣悪な宿舎は選手以外のクルーが宿泊します。選手は別のところのホテルに宿泊されます。
で、UAEなどもそうなのかとおもいきや、会場の内の一番いい場所にデーンととても簡易施設とは思えないようなすばらしい建物がたっているのですが、それがUAEの食事と休憩施設だったのです(宿泊しているかどうかは不明)。そこでは裏庭でシシカバブーを焼いている匂いがひときわみんなの胃袋を刺激して、お金持ちはいいなぁ~と複雑な思いを抱かせ続けたのでした...
で、そうこうするうちに夕方に。夕飼いをやって、夜飼いはお願いして、宿舎に帰りましたとさ。
ノルマンディーの思い出
8月25日から8月31日(帰国したのは9月1日)まで、ラッキー号のクルー(グルーム)でエンデュランス世界選手権に参加していました。エンデュランス競技の場所はフランスのノルマンディ、正確にはSartillyというところで、世界遺産のモンサンミッシェルのすぐ近くです。ちなみに開会式やエンデュランス以外の競技はカーンの競技場内で行われました。
私は25日の朝に牧場をでて、車とバスを乗り継ぎ、成田空港へ。そこで、もう一人のラッキーのグルームの方(以下、ミラクルさん)とお会いし、午後2時発のJAL便で出発。パリのシャルル・ド・ゴール空港についたのは現地時間で夜の8時過ぎになっていました。
そこから会場までは現地の日本人ガイド(本職はカメラマン)の方に送っていただきました(感謝)。パリの町並みはまだ明るかったです。途中、ガソリンスタンドと併設されているスーパーマーケットみたいなところに入りましたが、品揃えがあまりなく、かつ結構高いです。これはあとでわかったことですが、この店がぼったくりだったわけではなく、フランスの物価は全般的に結構高いです。しかたなく、何かお腹に入れておこうとノルマンディーマークのビスケットとオレンジジュースを買いました。
で、4時間のドライブの末、選手村(でいいのかな?)につきました。ついたのは深夜だったので、入り口のフェンスが閉鎖されていました。もちろん、監視員などはいません。しかたなく、隙間を見つけてトランクも押し込んで、なんとか入ることが出来ました。とりあえず、明日の朝が早い(なんと人使いの荒いオーナー!!)ので、シャワーでも入って寝ようと、宿舎の鍵を開けてア然です。まあ、宿舎がトランクルームの時点で予測はできたものの、4畳弱ぐらいの部屋にシングルベッド(かなり幅狭)が2つ。通路は人がやっと歩ける程度でトランクを開けるスペースもありません。小さなテーブルが有るのですが、そんなところにイス(折りたたみのイスが2つ)を置いて座るなんて物理的に不可能です。着替えや洗面用具をなんとかトランクから引っ張り出し(トランクを置くところは地べたなので、地面に触れさせないように荷物を取り出すにはかなりのテクニックを要します)、シャワーに行きました。で、シャワーは大型のコンテナの中に6ユニットぐらいとってあるのですが、この世にこんな狭いユニットシャワーがあるのかというぐらいのスペースしかありません。
脱衣所はほぼ靴の長さ2つ分ぐらいです。当然、そんなスペースで着替えられるはずもありませので、シャワーブース(これもほぼ肩幅プラスぐらい)に入って、服を脱ぐのですが、床はぬれているわけです。こんなところで、器用に着替えられるぐらいなら、中国雑技団に入れるんじゃないかと思うぐらいのスペースです。小柄な日本人をしてこれですから大柄な欧米人はどうしていたのでしょうね。よくクレームが出なかったものだと思います。
このコンテナユニットは汎用品のようでしたが、何用に作られたものだったんですかね(難民の一時収容とか)?
と、まぁ、シャワーはこんな感じでしたが、部屋に帰って寝ようとしましたが、さすがに狭い簡易ベットではなかなか寝付けません。他の部屋の音も容赦なく鉄板を通して入ってきます。うとうとしかけたかなと思ったら、朝でした。
(続く)
私は25日の朝に牧場をでて、車とバスを乗り継ぎ、成田空港へ。そこで、もう一人のラッキーのグルームの方(以下、ミラクルさん)とお会いし、午後2時発のJAL便で出発。パリのシャルル・ド・ゴール空港についたのは現地時間で夜の8時過ぎになっていました。
そこから会場までは現地の日本人ガイド(本職はカメラマン)の方に送っていただきました(感謝)。パリの町並みはまだ明るかったです。途中、ガソリンスタンドと併設されているスーパーマーケットみたいなところに入りましたが、品揃えがあまりなく、かつ結構高いです。これはあとでわかったことですが、この店がぼったくりだったわけではなく、フランスの物価は全般的に結構高いです。しかたなく、何かお腹に入れておこうとノルマンディーマークのビスケットとオレンジジュースを買いました。
で、4時間のドライブの末、選手村(でいいのかな?)につきました。ついたのは深夜だったので、入り口のフェンスが閉鎖されていました。もちろん、監視員などはいません。しかたなく、隙間を見つけてトランクも押し込んで、なんとか入ることが出来ました。とりあえず、明日の朝が早い(なんと人使いの荒いオーナー!!)ので、シャワーでも入って寝ようと、宿舎の鍵を開けてア然です。まあ、宿舎がトランクルームの時点で予測はできたものの、4畳弱ぐらいの部屋にシングルベッド(かなり幅狭)が2つ。通路は人がやっと歩ける程度でトランクを開けるスペースもありません。小さなテーブルが有るのですが、そんなところにイス(折りたたみのイスが2つ)を置いて座るなんて物理的に不可能です。着替えや洗面用具をなんとかトランクから引っ張り出し(トランクを置くところは地べたなので、地面に触れさせないように荷物を取り出すにはかなりのテクニックを要します)、シャワーに行きました。で、シャワーは大型のコンテナの中に6ユニットぐらいとってあるのですが、この世にこんな狭いユニットシャワーがあるのかというぐらいのスペースしかありません。
脱衣所はほぼ靴の長さ2つ分ぐらいです。当然、そんなスペースで着替えられるはずもありませので、シャワーブース(これもほぼ肩幅プラスぐらい)に入って、服を脱ぐのですが、床はぬれているわけです。こんなところで、器用に着替えられるぐらいなら、中国雑技団に入れるんじゃないかと思うぐらいのスペースです。小柄な日本人をしてこれですから大柄な欧米人はどうしていたのでしょうね。よくクレームが出なかったものだと思います。
このコンテナユニットは汎用品のようでしたが、何用に作られたものだったんですかね(難民の一時収容とか)?
と、まぁ、シャワーはこんな感じでしたが、部屋に帰って寝ようとしましたが、さすがに狭い簡易ベットではなかなか寝付けません。他の部屋の音も容赦なく鉄板を通して入ってきます。うとうとしかけたかなと思ったら、朝でした。
(続く)